癇癪をおこして、トイレで断末魔のような泣き声をあげている子供がいる。
起きたら、布団に誰もいなくてこわごわ他の部屋へ行ってみる子供がいる。
友達がみなDSで遊んでいる時に、UNOを取り出す子供がいる。
寒空の中、父親と手をつないで夜に散歩する子供がいる。
宿題を忘れてもヘラヘラしている子供がいる。
親と年中ろくに会うことができない子供がいる。
ねだれば何でも買ってもらえる子供がいる。
虐待を受けている子供がいる。
親を殺す子供がいる。
サンタを信じている子供がいる。
自ら命を絶つ子供がいる。
眠れないので絵本を読んで欲しいとせがむ子供がいる。
「こんな家に産まれてくるんじゃなかった!」と言い放つ子供がいる。
「今まで育ててくれてありがとう」と、涙まじりに言う子供がいる。
嬉しいとか、
楽しいとか、
その感情がイコールで「幸せだなぁ」になるのはいつからだっただろう。
悲しいとか、
寂しいとか、
その感情がイコールで「自分は不幸だ」と思ったのはいつが始めてだろう。
笑顔でお菓子を頬張っている子供がいる。
たぶん、まだ「幸せだ!」と感じながらではなく、
単純に「美味しい!」と感じているだろう。
それが、「美味しい物が食べられて幸せ!」と思うのはいつからなのだろう。
冬の寒い時期に、風呂にゆっくり浸かって、すぐに布団に潜りこむ。
単純に「あったかい〜」じゃなく、
「なんて幸せなんだろう」と考え始めるのはいつからなのだろう。
自分はもう大人のつもりなので、そういうのは気の持ちようだ、と考えてしまう。
たとえば、やらなくちゃいけない仕事=仕事があるだけで幸せ、とか、
ゲロまみれの服を洗いながら=お湯が出て幸せ、とか。
頭の中で「幸せ」に変換できることはたくさんある。
故に、「幸せ」が薄まりつつある、というのも現状の本音だ。
『なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ なるべくいっぱい集めよう』とヒロトが歌っているのは、だからかもしれない。