先日、娘に「はやく4さいになりたいなー」と言われた。
言われたところで、その願いを叶えてやるわけにはいかないのだが。
3月生まれの彼女としては、級友たちが次々と4才になっていくのが羨ましいのだろう。
確かに、生後何年かは同じ学年でも「4月生まれ」と「3月生まれ」では大きく違いがある。
体格的にも、知能的にも約1年間では目を見張るくらいの違いがある。
年齢を聞かれて、「〜才〜ヶ月です」と親が答えるくらいなのだから、1ヶ月でも違いは大きい。
しかし、十数年後には「早生まれで良かった」と思えることが増えるだろう。
例えば青春真っ盛りの時に、周りが「17才はこんな一年だった」とか年末に言っているのを聞けたとして、
彼女の17才という一年はまだ始まってもいない。
「25歳までには結婚したい」と夏生まれの同級生と話していたとして、
彼女にはクリスマスもバレンタインデーも一回ずつ余裕がある。
4月生まれの自分が言うのだから多分、間違いない。
ところで、タイトルの「サンマの塩焼き〜、ツナ缶の残り〜」というのは、明日の生活発表会(昔でいうところの学芸会)での息子の唯一のセリフだ。
歌と演劇を交えての学年全員が猫になりきってのお題目。
引き算でつまづいていた彼が、小学二年生最大の難関であろう"九九"をいつの間にやらあっさりと習得していたことには驚いた。
日々、子供たちの成長には驚きと発見がある。
安西先生が桜木の練習をみながら言った「日一日と成長が見てとれる」だとか、
ミスチルの「カレンダーに記入したいくつもの記念日より、小刻みに鮮明に僕の記憶を埋めつくす」といった歌詞。
残り何年、何日、何時間を共に過ごせるかは分からないが、
できるだけの事はしてやりたいと思っている。
甘やかすことなく。
だがしかし、なんとか"今年のクリスマスは中止"の方向に持っていきたい。
なんで他人の誕生日だか命日だかに、プレゼントをねだられなければいけないのだ。