HAPPY! I SCREAM

妄想雑記

絵文字顔文字へのへのもへじ

会話、が少なくなってきている。携帯電話が普及し、誰かに話をすることが簡単にできるようになった反面、今度は言った言わないが深刻な機会にまで発展するケースも出てくる。

携帯電話が広まる前は、手紙やFAXでのやり取りが通常だった。これらは文章ややり取りが紙面に残っていたため、後から何かを確認するに非常によい手段だった。

携帯電話と共に今度はインターネットが普及し、”言った言わない”の件はメールというFAXや手紙に替わる解決策で落ち着く。

すると、前述したように”会話”が少なくなった。

メールでの文章のやり取り、手軽で便利である。さらにSNSも発展し、読書が苦手で活字に縁がなかったような人たちも、以前に比べて文字を読む、文章を読むことが多くなっただろう。

さて、文章のみを見た場合、そこにはひらがなやカタカナ、漢字や数字がただ並んでいるに過ぎない。それを一定の組み合わせとして”言葉”に変換し、言葉の羅列を”文章”として読んでいる。ここで重要なのが書き手の感情をどう汲みとるか、である。もちろんこれは前後のやり取りである程度可能だ。とすれば、書き手側がどうその文章に感情を託すか。

日本語に限っていえば、同じ文字の羅列でも、そこに含まれる感情によって全く異なる印象を相手に与えてしまうことが多々ある。

例えばメール等のやり取りで「どっちでもいいよ」と返信する場面。
書き手本人は”どっちも好きなので本当にどちらを選んでくれてもかまわない、そちらの決定に準ずる”意思で送ったとしても、読み手に”無関心、投げやり、自己主張がない”などといったニュアンスで取られてしまうかもしれない。

また、最近は”つぶやき”と称して自分の感情、行動、居場所を自分以外の誰かに発信することができるようになった。これにより書き手側の感情は不特定多数の他者に読まれる機会がグッと増え、同時に十人十色の受け取られ方をしてしまう危険性も増している。

ここまで長々と文章の持つ不感情さについて述べてきたが、これらをいとも簡単に解決する策はとっくに現れている。

エクスクラメーション・マーククエスチョン・マークなどを語尾に挿入することだ。「ありがとう」だけでは素っ気ない感じがする感謝の言葉も、「ありがとう!」にすれば感謝度が何割か増すし、「ごめんね」という謝罪の分も「ごめんね…」と三点リーダを挿入すれば申し訳ない感が増す。語尾に(笑)やwを付けるだけでもぶっきらぼうな文章に感情が生まれてくるから面白い。

さらに通信システムの向上によりデータのやり取りの少量が増えると、タイトルにもあるとおり、全角文字一つ分の簡潔な絵を挿入する絵文字、記号や数字の組み合わせで顔や動作を表現する顔文字。さらに進化して”スタンプ”なるものも登場してくる。

乱雑な使用は返って読み手に煩わしさを感じさせてしまうのでおすすめはしないが、ある程度自分の感情を文章に含ませる手段としてはかなり有効だと思う。

本当は、会って話す、もちろんこれが最上であるけれど。