HAPPY! I SCREAM

妄想雑記

寒波にカンパイ

あれは、仙台着陸の飛行機が、除雪のため滑走路が閉鎖されてしまい、元の空港まで引き返さなければならないほど雪が降った一月十四日の翌日だった。



フワフワと舞う雪が幾多ものタイヤに踏みしめられて固まり、一晩かけてまた凍り、頑固な根雪へと変化していた。



バス停へ着くと、黒とパールを模したシックかつゴージャスなネイルアートが施された長めの爪を持つ女性が視界に入った。まず先に思ったのは、「この娘はきっと料理はできないのだろうな」ということだった。あの爪ではキャベツを千切りにする前に自分の爪を切ってしまいそうだし、塩ひとつまみが何倍かの量になってしまうだろう。

僕は料理ができない女性があまり好きではない。僕自身は料理は好きだが、毎食を作るほどの気力はないし、それを義務化されたならたまったもんではないので、料理人や主夫にはなれない。
僕の料理は趣味の域を出ない。故に、同棲や結婚を考えるとなると相手には料理ができてもらわないと困るのだ。

などと考えつつ、バスを待っていた。バスが来る方向側に彼女は立っていたので、否が応にも視界に入ってくる。ゆるくパーマのかかった長めのやや明るい茶色の髪に隠れていた横顔が目に入る。



"どストライク"だ。



例えるなら「素人がまぐれでキャッチャーミットめがけて真っ直ぐ放った球速の遅いストレート」だ。打ち返さないわけがない。が、凝視できない事が惜しい。


定刻を数分過ぎてバスが到着し、彼女は運転手の真後ろの一人掛けに座った。僕は、バスに乗る時はほぼ定位置となっている後ろから二番目の比較的足元がゆったりしている二人掛けの席の窓際に腰を下ろした。
チェーンを巻いたタイヤが根雪の上を走り、細かく激しい震動が背もたれと床を伝わって身体に響く。とてもじゃないが読書できる環境ではないので、僕は窓の外の真っ白になった世界を見ていた。時折、対角線上に座っている彼女に目をやりながら。


見慣れた田畑も、国道も、空も真っ白だ。葉を落とし尖った枝を持つ木々も、積った雪によって柔らかなシルエットを纏っている。


僕の乗っているバスは、途中でJRの駅前を経由し、市営地下鉄方面まで行く。大抵の乗客はJRの駅前で降車する。その後の停留所でまた少しずつ乗客は増え、同じくらいの人数が地下鉄駅前で降りる。僕の目的地はJRに乗り換えるよりも地下鉄に乗り換えて行ったほうが近いので、わりと長い時間バスに揺られていることになる。


連休明けだが天候を気にしてみんな早め早めに行動したのだろう。この時間には通勤のために乗っている客は少ないようだ。スピードが出せないためどこの道路も普段より混んでいる。


JRの駅前のロータリーをゆっくりと周る。乗客の半数以上が次々と席を立つ。バスの最前にある扉から降りていく列を眺める。彼女はまだ席に腰かけたままだ。

僕のように長い時間乗っている客はあまりいないので、彼女に対し親近感がプラスされる。共に降りる停留所まで目の保養は続いたわけだ。寒波に乾杯。






数日の間、雪が降ったり止んだりし、晴れ間は覗くものの氷点下の気温がほとんどだったため僕は不規則な乗車時間だがバス通勤を続けていた。夜は飲みの予定が入っているのも理由に加えておく。


バス停に近づいていくと、見覚えのあるファーの付いた白いダウンジャケットと、チャコールグレーのブーツを履いている彼女がいた。シックでゴージャスなネイルもそのままだった。しかし、道路を挟んで向こう側のバス停へ渡るために正面から捉えたその顔は、数日前に見た横顔から想像していたのとは少し違った。

直接見えていない部分を補完してくれる脳の働きによるものだろうが、後ろ姿のプロポーションの良い姿や、歯科助手や看護師のマスクマジックと同じだったのだ。僕は勝手に少し気落ちした。


彼女はまた前方の空いている席に座り、僕は定位置に着いた。空は青いが、路面から車体を通じて伝わる振動は相変わらずだし、ところどころ見えるアスファルトと汚れた雪とで道は濃い灰色と薄い灰色とが覆い尽くしていた。車窓から見える風景は、雪が積もる前の見慣れたつまらないものに戻ろうとしている。



JR駅前のロータリーに着き、扉が開く。なぜか今日はここで彼女は降車してしまった。

前回とは彼女の行き先は違うのだろう、僕は勝手に少しがっかりした。



地下鉄駅前に到着し、僕はほとんどが敬老乗車証を手にした客と一緒に列をなした。バスを降りた途端、乾いた冷たい風が、強く僕に吹きつける。寒波に完敗。