HAPPY! I SCREAM

妄想雑記

心の声

「隣の学区の、駅の近くに小さい本屋があってさ、無愛想なおばさんがレジにいるんだけど、そこならエロ本を買っても何も言われないぜって友達に聞いたんだ。で、チャリ漕いで行って、内心ドキドキしながらも、さも当たり前のようにレジへエロ本を差し出す。そしたらそのおばちゃん、ずっと無表情だったくせに、少しだけ口元を歪めて淡々とレジ打ちを始めたんだ。なるべくレジ前の滞在時間を減らしたかったから、ちょうどの額を払えるように財布に小銭を多めに入れて行ったんだ。小銭を渡しながら内心ガッツポーズをして、すげースピードでチャリで帰ったっけ。あの頃みたいなドキドキ感はもう最近はしなくなったなあ」と、中学時代の友人は遠い目をした。



大人になるにつれ、ドキドキする感覚がなくなっていくのはなぜだろうと考えていた。


耐性が付いた、と言うのが正解だろうか。僕ら人間は、産まれてきた瞬間はハダカで、清潔な布にすぐ包まれる。親が用意した服を着る。温度、湿度、視線、紫外線、物理的な摩擦や衝突、いろいろなダメージから文字通り身を守るために僕らは服を着る。


これは体の外側の部分で、恐らく内面の部分、つまり精神や感情にも僕らは服を着せている。一度味わった悲しさや寂しさ、心臓がキュッとなるような痛み、悔しさ、歯痒さ、その度に一枚一枚薄い布のようなものを被せて、年月は流れる。いずれ固い鎧ののようになり、ちょっとやそっとの事じゃ心は動かなくなる。


年をとるにつれ、ドキドキする瞬間がなくなってしまうのはそのせいだろう。子どものように無垢でピュアな人がいつまでも心軽やかなのは、心が薄着だからだ。




話は変わるが、つい先日彼女とこんなやり取りがあった。

自宅でメシを食い、洗い物を終えた彼女が僕の向かいに腰を下ろして言った。

「最近、わたしたちの会話って減ってると思わない?」

『そうかな?そんなことないと思うけど』

「いや、確実に減ってる。あったとしても一言二言で終わるようなものばかりよ」

『それはアレだ、アイ・コンタクトとかテレパシーとかでお互い解るようになってきたってことじゃない?』

「それでもね、女っていうのは言葉で何かを解りたがるものなの。だって、あなたには喋る口があってわたしには聞く耳がある。あなたは字を書く事ができて、わたしはそれを目で見ることができる。これは確かなことでしょう?勘ははたらかせることはできるけど、少なくともわたしにはテレパシー受信機みたいな装置はついていないわ」

彼女が何を言わんとしているか、そう「最近愛してるって言ってくれないね」系のやつだ。確かに、僕は「愛してる」と彼女に言った覚えがない。「好きだ」とか彼女から「愛してる」って言われた時に「オレも」と返すくらいだったろう。もともと、「愛してる」という言葉はすごく重いものだ、という認識がありなるべく使わないように生きてきた。「愛してる」という言葉は時として、人を殺すことがある。だけど、その重さゆえに慎重になっていた僕が、彼女には軽く見られていたのかも知れない。なんとも皮肉な話だ。



この会話のあと、僕ら二人がどうなってしまったかは想像にお任せする。


心の声ってやつは、そうそう相手に届くものではないらしい。たぶん、大人になるにつれて着込んだ鎧が遮っているんだろう。



時間の流れは誰にも平等だが、新幹線のようなスピードだったり、鈍行列車のようであったりする。