『あら』
「あらら」
ドライバーは、昔付き合っていた女の子だった。
アドレナリンが引いていくのがわかる。
『何してんの?』
「あぁ、通勤中だよ。そしたら前の車が急に停まってぶつかったトコ。」
『ごめんね、あら?何その足?』
彼女は僕の足元を見て(慣用句ではなく)言った。
「これはアレだ、踵にヒビ入ってんだ」
『で、ミラーにこれがあるわけね』
杖を指差して彼女は言う。
『背も少し伸びた?』
「いや、これはアレだ。コルセット巻いてるから背筋がのびてんだろ」
『コルセット??』
「腰の骨も折れてんのよ。って言っても、もうほぼくっついてんだけど」
『そんな体でよく運転してるわね。何があったの?そのケガ。事故?』
「たった今、原チャに追突されといてよく“事故?”とか言えるな。」
『いいから、何があったの?ってば』
「…酒の席での失態というか、若気の至りというか、ま、そんなところだな」
『お酒の…、ねえ。相変わらず波乱万丈に生きてるみたいね』
「まぁ、退屈はしてないな。」
思い起こせば、彼女と別れるキッカケになったのはいつだかの酒の失態だったかもしれない。
だがもう、忘れてしまった。
付き合っていたのはけっこう前のことだが、不思議な事に彼女はあの頃のまま、あまり変化していないように見えた。
「お前は何してんの?原チャに追突される前は」
『ドライブ、よ。』
「こんな細道をか?」
『どこをどう走ろうと、走っていればドライブなのよ』
付き合っていたころより、反論がヘリクツじみている。誰かの影響だろうか。
「急に止まったりすんなよ。オレの機転が咄嗟にきいたからよかったものの、一歩間違えたら大事故だぞ」
『ちょっと考え事していたものだから…。でも良かったじゃない、お互い車とかも見たところ傷なさそうだし。』
「んまぁ、そうだな。日頃の行いが良かった、ってことだな」
『酔っ払って大ケガしたひとが何言っても説得力ないわよ』
「そう言うなよ。つーか、オレ出勤中で急いでんだった。もう行くよ」
『あら、そうだったの。』
ヘルメットをかぶり直し、キーを回す。
シートにまたがって、進行方向へと向き直った。
『もしかしたら、また偶然会うかもね』
たぶんな、と言いかけて、やめた。曖昧模糊とした発言はなるべくしないことに先日決めたのだ。
「お互い、生きてりゃ、そのうち会うかもな。どんな事だって、生きてりゃ可能性はゼロじゃない」
『そうね。気をつけて』
見送られる形になり、アクセルをひねった。
車にぶつかった右肩が鈍く痛いような気もするが、なんとなくどうでもいい事のように思えた。
横道を右に折れて、真新しい大通りへ出る。
土曜日は左車線が混み始めていた。
後ろから、救急車のサイレンが聞こえてくる。
追い抜かれた先を見ると、左折しようとしたトラックにバイクが巻き込まれてしまった事故が起きたばかりのようだった。
パトカーも遅れてやってきたようなので、心持ちスピードを緩める。
もしも、彼女の車が急に減速しなかったら、
もしも、ミニバンをなんなくかわしていたら、
さっきのトラックに巻き込まれていたのは僕だったかもしれない。
「運が悪いんだか、いいんだか分からないもんだな」とぼやきつつ、「色々あるもんだな、人生には」と俯瞰的な想いが頭をよぎる。
そう、人生には何が起きるか全くわからないし、分かりたくもない。
どちらかというと、笑っていられれば、それだけで充分なのかもしれない。
きっと、そうだ。