風呂に浸かりながら考えてしまった事。
例に引きだすのが「酒」になってしまい恐縮なのだが、
パターン1、身体に気を使って、今夜も酒を我慢する。しかし、何日かして交通事故で逝ってしまう。その刹那、「飲みたい時に飲んでおけばよかった」と思ってしまう。
パターン2、飲みたいのを我慢する事は無い、とこれまでどおり飲みたい時に飲む。結果、"余命〜年"宣告をされ、「酒なんかより寿命の方が大事だった」と思ってしまう。
どちらが正しい選択なのだろうか。
多分、どちらにしろ正しく、どのみち後悔することになるんだろう。
先に後悔が待ちかまえている2択肢ほど、選ぶ気が失せるものもない。
何を優先させるべきか。
まぎれもなく"生きている今"の本能や欲望を優先させるか。
"笑っているかもしれない未来の自分"を目標とし優先させるか。
全く謎は解けないまま、湯がぬるくなってきたので体を洗い始めた。
近頃は、何日か前に"過去の自分"が下した「晩酌はしない・外で飲む時は飲む」提案をとりあえずで遂行している。
変わってしまう事が怖いし、何も変わらないことも怖い。
"今の自分"があるのは、"過去の自分"が選んだ幾千幾万もの採択の結果による。
"未来の自分"は、それを受けた"今の自分"が選ぼうとしているその先にいる。
過去は無碍にできない。
今感じているこの悶々とした気分は押さえつけておきたくない。
未来の自分は笑っていたい。
最善の選択はわからない。
きっと後悔する。
好きなものは好きだ。
「愛してる」と面と向かって言いたい。
話は脱線している。
脱線した先の到着点もわからない。
エゴイストも、
ナルシストも、
リアリストも、
フェミニストも、
エコロジストも、
センチメンタリストも、
詰まる所は同じ人間だ。
同じ自分だ。
ファンタジスタだ。
それだけは分かっている。