小雨降る夜に、ショパンなんぞ聞きつつ反射するネオン街にて彼女を待っていた。
たいして腹は減っていない、とのことだったのでサイフにやさしく手頃なバーへと向かう。
面と向かって二人で飲んだりするのは久しぶりだから、お互いに幾ばくかの緊張も見られたが、すぐにその距離は縮まった。ように僕は、思っていた。
僕がビールの4杯目を注文する間に、彼女はまだ1杯しか飲んでいないことに気付いた。
「今日は飲むペース遅いんじゃない?調子でも悪い?」
これまでの会話を通して、そんな印象は受けなかったが、相手への気遣いを示すのは悪い事ではないと思い聞いてみた。
『別に普通よ?』
「いっつもはもっと飲んでなかったっけ?」
『ひとつ、決めた事があってね。私は、貴方のまえじゃなるべく酔っ払っちゃわないようにしようと決めたのよ。』
「こりゃまた突然の宣言だね。」
『だって、もったいないでしょう?あまりにも酔って記憶が曖昧になっちゃったりとか、朝起きて頭痛で後悔とか、少なくとも貴方と飲んでいるこの時間は大事にしたいのよ』
「嬉しいんだかなんだか、複雑な感じではあるね。」
『こんな事言っといてアレだけど、ペースは私に合わせずいつもどおり飲んでね。貴方が酔うに連れて饒舌になっていくの楽しいから。』
「呂律も回らなくなるけどね」
『"ロレツ"って言葉自体、結構言いにくいわよね。"リョレトゥ"とか言っちゃいそう』
「現にそのくらいにはなってるかもなぁ。ところで、次なに飲む?」
『GUINESSにしようかな。』
「お、黒ビール飲むトコ初めて見た。酒の好み変わった?」
『未だに最後の締めはワイン、ってのは変わってないわよ。この前、たまたま友達と飲んでて味見させてもらったら、意外に美味しかったの』
「普段、自分から買って飲む機会も少ないよね〜。オレは味は好きなんだけど、炭酸の少なさ具合がちょっとね」
『そこも気に入ったポイントなんだけどなー私。超微炭酸ってトコが。そうそう、"微炭酸"で思い出したんだけど、昔"ミスティオ"ってジュース流行ってたよね。』
「アムロちゃんがコマーシャルやってたやつだろ?友達ん家にポスター貼ってあったっけ。」
『好きだったんだけどな〜。"ぬ〜ぼ〜"とかも。美味しいって思うのってなんでいつのまにか無くなっちゃうんだろうね。ずっと売り続ければいいのに。』
「君の意見は、意外と少数派なのかもよ?」
『え〜〜、絶対そんなことないよ。まわりの友達もみんな好きだって言ってたし』
「メーカー側はもっと広い視野で市場調査してるって事なんじゃない?」
『だとしたら、その担当は無能ね。結果としてニーズがわかってないんだし』
「自分の意見は意地でも通すね。担当さんが無能呼ばわりって。」
彼女がもしも、本当に少数意見ばかりに偏る嗜好と志向の持ち主だったならば、僕という男はいったい世間にどうみられているんだろう、などと考えてみたりもした。
が、これは口に出せば地雷を踏むような事態になるかもしれないので黙っておいた。
店を出たら小雨はやんでいた。が、まだこの季節の雨上がり特有の、もやつきが残っている。
次の店に行くかどうかも決めかねて、宛てなく歩いていた。
『ちょっと、歩くスピード早いわよ!』
「慣れねーピンヒールとか履いてっからだろ〜」
『別に慣れてなくはないわよ。仕事の時も履くし』
「いつもはパンプスとかじゃん」
ピンヒールを履いているので、僕たちはほぼ同じ背くらいだ。
「女の子のヒールってさ、ずるいよね。」
『なんでよ?』
「男が履いてたら、それはもはやシークレットシューズじゃん。靴の形状はどうあれさ。この違いはなんなんだろう、ってたまに思う。女の子の、いわゆる"三高好み"ってヤツに、男の身長がはいってるだろ?逆に男の立場としてアンケートを取ったとしたら、自分より背が低い子が好みだっていう回答の方がそうじゃないのより多いと思うんだ。で、男は高身長でありたい、女の子は可愛らしく見られたい、ってそれぞれ願望があるはずなのに、男には靴の底上げが認められていなくて、尚且つ女の子はヒールを履いてしまう。この反比例さ加減は理解を超えるね」
『別に、シークレットシューズを堂々と履けばいいだけじゃないの』
「そうはいかないだろう。靴を脱いだ瞬間に幻滅される恐れがあるし、だからこそネーミングが"シークレット"なんだよ」
『私は別に背が高くなりたくてヒール履いてるワケじゃないから。ヒールの方が脚がキレイに見えるってのは、男性女性かかわらず皆が認識してることでしょ』
「それだよ、ならばなぜ、男も脚を長く見せたり、身長を高く見せようとしちゃいけないような雰囲気に世界はなっているんだろう」
『もしかしたら女性だって最初はヒールを履いて歩くのは滑稽だったかもしれないわよ。でも、少しずつだろうとなんだろうと、それが浸透してきたウラには、男にはない何かがあったのよきっと。男にはそれが足りなかっただけなんじゃない?』
「執念ってやつか」
『その言葉選びは適切じゃないわね、たった今、女性の敵ランクの上位に入ったわよ。』
地雷を踏んでしまったようである。なんにせよ、今晩は関係の修復は望めそうもないな、と覚悟し始める。こうなったら手強いいのだ。でも僕は、一縷の望みにかけた。わずか数パーセントとは分かっていながらも。
「次どこ行く?」
『今日はもう気分じゃないわ。帰る。』
「んじゃ送っていこうか?」
『いい』
今度は彼女の方が歩くスピードが早くなっている。
姿勢のいいコツコツとした後ろ姿を見ながら、「やっぱ好きだなぁ」なんて楽観とした気持ちがよぎるが、残念、今はそれどころじゃないんだった。
ふと携帯が鳴り、ポケットから取り出すのに手間取っていると、彼女の姿は見えなくなってしまっていた。
軽はずみな僕の言動は巨大化し、踏み越えてはいけない領域に入ってしまったのかもしれない。