HAPPY! I SCREAM

妄想雑記

10年④

夏休み

せっかく彼女ができたというのに、前回触れた"無謀"に着手する。ホントは、峠越えて山形県の海に沈む夕日を見に行こう!って思いつきだった。だが、彼の兄に峠なんか越えたらチャリンコパンクするぞ。と言われ、断念。それでも目的地を探した。
そう。チャリンコの旅。
「従兄弟の家が気仙沼にある」そして、2人で自転車(通学用に使っていた普通のヤツ、自転車というよりはチャリンコ)で一路気仙沼を目指す。距離にして片道130㎞。
朝5時に閖上の家に集合。姉ちゃんが作ってくれた(確か生春巻き)を食べ、いざ出発!"塩釜-亘理線"という県道をひたすら北上。国道45線に入り、多賀城−塩釜−利府−松島へと。ここまで3時間、ノンストップ。某コンビニでようやく一息入れる。がしかし早くも出発。「若い」という言葉だけでは説明できないくらい情熱というかもう目的地しか見えていなかった。松島を越えてしばらくすると石巻市、すれ違った地元のおっちゃんに「どっから来たんだぁ」と声をかけられ、「仙台です」と答えると「あぁ、そうが」おっちゃんの中ではもっと遠くから来たもんだろうと思ってたんだろう。無理もない。普通のチャリンコに籠にぎゅうぎゅうと荷物をつめ、リュックを背負い、オレの後部座席には折りたたまれたテントが1mくらい伸びている。石巻から河北町に入り、45号線は少し内陸に沿う。軽く山道だ。地図を見ていた限りではさほど苦にならないだろうと踏んでいたが、どっこい、ゆるやかに続く登りほど辛いものはないということを体感した。そろそろ歩道がなくなる。山道を通るダンプに追い越される。おっかねぇ。なんかコンクリ工場みたいなのがあった。津山町の「もくもくランド」(あってるかな?)で休憩。天気雨が通っていった。もう時間は午後になっている。
再び山道へともどり、海岸線に出た。志津川町(こないだ歌津町と合併して今は南三陸町という名前になった)。そろそろ野宿先を探さねば。もろ海岸のコンクリ地を下見。なんか無理そう。グルグルと町内を廻る。大通りより中に入った少し淋しげな所に空き地を発見!決める。近くのスーパーに行き、缶詰とジュースを買う。
朝、7時か8時くらいに町内のアナウンスが流れて起こされた。アットホームな町だと感激する。空き地の裏の民家に水をもらいに行った。親切にもおばさんはアンパンと飲み物(何だったか忘れたけど、懐かしいヤツ。相方は覚えてるかも)をくれた。見ず知れずのガキンチョになんて心遣いだと、ここでも感激。ホントいい町だよ志津川町
もう半日くらい走れば気仙沼に着くな。ひたすら漕ぐ、漕ぐ、漕ぐ。
気仙沼市の看板が見えた。達成感と安堵感が交じり、ちょっと力が抜ける。ここで公衆電話から従兄弟に電話をかけた。幸い気仙沼市でも南の方に位置していた家は1時間かからないくらいで到着。ここでもやはり、従兄弟と一緒に来たとはいえ、初対面のオレになんてやさしい一家なんだろう。なんだかんだで2泊くらいした覚えが。海にも行ったし、三陸ならではの超美味海鮮モノもゴチになりました。そうそう、ここでオレはウニとう食べ物を初めて口にしたわけ。しかも殻つきで、いまや虜です。お世話になりました。
再会(そんなに遠くはないが)を誓い、いざ帰路につく。
旅のはじめとは違い、同じ道を辿ったので目新しいものもなく、淡々と走る。帰りの野宿は石巻のパチンコ店の裏の土手の下。大通りが近くにあってさ、族車とかが走ってる。土手も人が通る。そりゃテントが張ってありゃ目立つわな。しかし何事もなく朝を迎えることができた。
帰りよりも行きの方がコメント長いな。帰り道なんて相棒はホームシックなのか何なのか、オレの200〜300m先を走ってやがる。松島はちょうど花火大会らしく、昼間っから人が多い。それも無視して走る。午後3時頃、閖上到着。
着いたときは「あぁもう終わっちまった」という寂しさが残った。





今日は長かったね。高校時代の話はもうチョイ続くよ。なんたってまだ恋愛話が残ってるからね。