HAPPY! I SCREAM

妄想雑記

紫陽花の咲く病院にて

初めて行く国立の大きな病院。朝9時から診療受付開始、という案内を事前に見ていたので、僕と彼女は混まないうちに早めに行っておこうと決め、9時少し前に病院に着くように家を出た。


大通りから車を入れ、もう既に混んでいる駐車場を通っているうちに嫌な予感がする。車を止め正面玄関に向かうと、大きな自動ドアの前に長蛇の列ができていた。この人たちはいったい何時に起きて朝食を摂り、家を出てきたのだろう。


結局、診察受付まで40分、迷路の案内のような道を通って科の入り口まで行き、待たされること1時間と少し。診察は数分で終了。それから検査の順番待ちで30分、結果を聞くためさらに診察室前で待つ。名前を呼ばれ、検査結果を聞くのにやはり数分しか掛からなかった。カルテを総合受付に提出し、診療代の支払いを待つ。9時にここに来てからかれこれ3時間強は経っている。


「きっと、この病院はみんなの時間を吸い取って動いているんだわ」

彼女はこの病院を巨大な生物の消化器官の中かなにかのように思っているんだろう。患者本人である僕と違い、付き添いでここまで時間を費やしたのだからそう考えてしまうのも仕方ないのかもしれない。たしかに、映画を一本とか小説を一冊読み終えるくらいの時間が既に流れていた。実際に彼女が読み始めたハードカバーはもう数ページしか残っていないようだ。


受付の女性がマイクを通して僕を呼び、名前が校内放送のように流れる。まるで「至急、職員室まで来るように」と言わんばかりに聞こえた。支払いを済ませ彼女のところへ戻ると、空腹の眼差しを向けてきた。当初は病院を出てどこかでランチを食べようなどとスケジューリングをしていたが、この眼差しに呼応するように僕の腹の虫も鳴った。


総合受付から少し離れた階段をのぼった病院の2階、吹き抜けの中庭を見下ろすように食堂があった。この病院は最近この土地に移転したばかりで、作りが新しく、床や天井や壁は眩しすぎない程度のオフホワイトを基調としたカラーで統一され、どこか近未来的な感じがした。食堂の券売機まで高性能コンピューターが内蔵されているように見える。


だが、味はそうでもない。むしろ近未来的というよりは十数年遡った素朴なものだった。まあ、近未来的な味とはどういうものかと問われたところで出せる答えはもともとないんだけど。


「注文が出てくるまでも時間がかかるのね」

彼女はハンバーグを切り分けてフォークで突き刺しながら文句を言った。

『こういう病院っていうのはさ、大きかったら大きかっただけいろんな病気やいろんな怪我で入院している人がいっぱいいる。そして急患も多い。あまり言いたくはないけれど、それだけ死に近い人が集まる場所なんだ。それで、たとえば家族や恋人がお別れの時間をなるべく引き延ばしたい、ホントは逝ってしまって欲しくなんかない、そんな思いが集まって集まって時間の流れがゆっくりになるんだって。』

僕は何年か前に祖母から聞いた話を彼女にした。祖母は数年前に、それまで長く入院していた祖父を亡くしていた。


中庭を見下ろすと、紫陽花が雨に濡れていた。


紫陽花の藍紫色、病院の壁の白、雨雲の薄い灰色、これは人生の最期をせめて安らかに過ごせるように、と願われた配色なのかもしれないな、と僕は思う。


「紫陽花がきれいね、すこし寂しい色合いだけど」と、彼女は言う。


午後はどこかへ出かけようか、付き添いに費やせてしまった時間の埋め合わせをしなくては、と僕はちょっと先の未来について考える。

死にごく近い場所で、僕は生きることを自然に思案していた。