HAPPY! I SCREAM

妄想雑記

プリーズ・シット・ダウン

僕はしがない三十代半ばの独身サラリーマン。


「しがない」とは「私がない」とか「歯牙ない」とか字をあてられることもある割とマイナスな表現だ。


でも、僕は自分自身をそこまで卑下はしていない。だったらなぜそんな言葉を使うのか?まあ、とりたてて会社や組織に貢献しているわけではないし、かといって秘めた野望を胸の内に隠しているわけでもないので、あえて「しがない」という言い回しを使ってみた。"僕はサラリーマン"と書いてあったら、もしかしたらフレッシュなリクルートスーツに身を包んだ大卒生の意気込みを語る話が始まるかもしれないし、だいたいにしてサラリーマンという自己紹介にここでは何の意味もない。


本題に入る。
最近、バスや電車でご老人に席を譲るのが平気になった。『お年寄りや怪我をされている方には席を譲りましょう』と教育を受けてきたものの、いざ実践できるかというとそうでもないのが世間一般における"あるある"だろう。


小学生とかのころは、とにかく褒められたくて面白いように席を譲る。


そこに邪魔が入るのが「一般常識とか自分にゃカンケーねーし」などという捻くれた反逆心だ。始末に悪いのはそれをカッコいいと思い込んでしまっていることと、周囲に伝染することだ。半数くらいの人はこの伝染病に罹ったまま大人になる。


ただやはり健康な状態にもどる人たちも多くいる。彼らは取り戻した正義感や道徳心を武器に席を譲ろうとする。またここに別の邪魔が入る。「年寄り扱いするな!」と声を荒げたり、「いえいえ大丈夫ですから、そんなお気になさらないでください」という"ザ・日本人"的思考のお歴々だ。こちらが手にしている正義感や道徳心という武器を粉々に破壊し、さらに心を折ったり羞恥心を植え付けたりする。


先ほど"逆ギレ"した老人の行動も、「目立った行動をとってしまった」という席を譲ろうとした本人も、根幹は"羞恥心"を嫌う人間の心情にある。ある意味「社会」のなかでは必要な感情なのだが、建設的な意見や行動に対しては非常に厄介な存在だ。これは『他の人たちと足並みをそろえよう』とか『和を乱すな・輪から外れるな』という国民性と教育のもとにはるか昔から刷りこまれている。


こうして、伝染病から回復した半数の人々の数が減り、「断られたらどうしよう」「声かけるの恥ずかしい」という負の想像力により、行動をとる前に諦念する人たちが増え、目立つ行動はさらに肩身を狭くしていく。


これが現状である。



僕がこれらから脱出し、平気で席を譲れるようになったのはある概念が生まれてからだ。それは前述した捻くれた反逆心に近いものがあるのだけれど、対象が自分になっただけだ。

「つーか、誰もお前の行動なんて気にとめてねーし。自意識過剰なんじゃねーの?」というものだ。この概念に行き着くと、これまでより席を譲るのが苦じゃなくなる。そして"断られ"たり"無駄な謙虚さ"を防ぎ成功率を上げるために少々のスキルをプラスできれば上々だ。

スキルについていうと、まず"タイミングをうまく掴む"ということだ。自分の中で譲ろうかな?でも恥ずかしいな…と迷っていたらまずタイミングを逃し、その直後に声をかけても失敗することが多い。乗客の歩調、席を探す目線など、観察すべき所はある。また、他に席を譲ろうとしている人がいるかいないかを察知する洞察力も必要だ。

もうひとつ、"相手に断らせない仕草や勧めかた"もあれば成功率はアップする。例えば、自分が座ったままなのに「座ります?」と声をかけても相手はそれこそ謙遜さを前面に押し出してくるだろう。自然に席を立ち、相手をエスコートするような自然な手振りができれば相手も座りやすい。そしてこれはそのお年寄りの性格によるけれど、敬語で「座ります?」と言われるより「席どうぞ〜」とややフランクめに言われたほうが座りやすい方もいる。看護師やホームヘルパー、駄菓子屋に足しげく通う子供たちを観察していると、意外と"タメ口"が要所要所に発せられている。ただのタメ口ではなく、相手を尊重したうえでのそういった言動だから通用するのだが。


長々と語ってきたが、要は僕のようなしがない独身サラリーマンでも、まだまだ大人になれる伸びしろはたくさんあるということだ。全くの自画自賛だけど、それでいい。大人になればなるほど誰かから褒められる機会というのはなくなっていくから。





自分を褒め、心にゆとりがある状態で日々の生活を送る。

バスを降りて乗り換えた電車の席にもゆとりがある。

僕は空いている座席に腰を下ろし、鞄から文庫本を取りだして読み始める。

ふと隣に若い女性が座り、「お久しぶりです、先生」と声をかけてきた。

僕は文庫本に目を落したまま瞬時に考える。「先生?政治家でも弁護士でも医者でも教師でもない僕に向かって?」と。

そして女性の向こう隣りに座っていた男性の声が耳に届く「おう、元気だったか?」と。

「自意識過剰なんじゃねーの?」と自分で自分を戒める。ようやくたどり着いた概念が定着していない。

女性と先生は次の駅で降りて行った。

僕の隣がまた空席になる。

僕の人生に置きかえても同じ。

だれか、僕の隣にプリーズ・シット・ダウン。