HAPPY! I SCREAM

妄想雑記

ラブレターの天才(原文2010.2月掲載忘れ)

比較的早い家路の中、電車内で醜く太った女性の隣だった。

(誤解があるといけないので弁解しておくが、「太っているから醜い」、という訳ではない。
座席に荷物を置いてひじ掛け代わりに使用していたり、イヤフォンから漏れるシャカシャカ音がややでかかったり、膝を開いて座っていたり、という印象から抽出された自分の主観による表現である。ましてや、どピンクのパンプスが感情を逆なでする)


まず短編を読みつつ、帰ってから何をするか思案を巡らす。

買い置きの文庫本に手をつけるか

録画しておいた生物ものの番組を見るか

月齢14を過ぎた明るい夜道を歩く。









さてはて、「ラブレターの天才」はまずこの世には存在しないだろうという結論に湯船につかりながら辿り着いた。

なぜそんな議題が脳内で討論されていたかは宿主には不明。

辿り着いた結論によると、まず「天才」と称されるためには、多くの作品を残していなければならない。"一発屋"では天才とは称されない。
多くの作品を残すということは、それなりに多数の異性に告白しているという事であって、フッたりフラれたりを繰り返しているようだから恋愛自体は上手くいってないのではないか。
そんな結果を残す人間を「天才」と崇めてもいいものだろうか。


また、"異性への告白を文章にして伝える、文学的な天賦の才"を持っている者はいるだろう。
ただし、先ほども言ったように、「数多くの品評」を得られなければいけない。これは作品数ではなくとも、第三者から数多くの賛辞を得られればなんとかなるかもしれない。
が、ラブレターを受け取った異性が、『見て見て!彼からもらったラブレターなんだけど、ここの私への気持ちの表現なんて、ものすごく素敵だと思わない??』なんて触れまわるわけもないし、仮にいたとしても、彼女を交際相手と選んだ時点でその"天賦の才"への評判もガタ落ちだろう。

という理由から、『ラブレターの天才』という者は世に存在しないだろうという結論に達した。

どうでもいい話だが、別の見解からもまた、推考してみたいとも思う。
寝て起きたら「やっぱり天才いるじゃん!」なんて考えも浮かんでいるかもしれないし、またそれを覆す反論も導き出されるかもしれない。