彼は、選挙が好きだ。
選挙自体はそうでもないんだが。
理由は、彼が置かれている状況、立場、これまでの過去にある。
彼は、身体が不自由だ。
部位は明かさないが、これは先天性のものであり、それでも生きる方法を親は教えてくれた。
とりあえずこれまでの人生はちょっとした蔑視を除けば、特に不満は無かった。
自分に選挙権があろうがなかろうが、それはどうでもいい。
誰が、どこの党が当選したところで身体の不自由が消えるわけではないし、不自由さが消えたことによる変化も彼には未知の世界なため、自ら変化を望んではいなかった。
しかしそれでも、彼は市長選、衆院選問わず、選挙の時期が好きだった。
朝から日中、夕方にかけて彼は歩道へ移動する。
スピーカーから独特の言い回しが聞こえてくる。
今日もまた1台、選挙カーが近づいてきた。
彼は車に向かってにこやかに手を振る。
彼に気付いたウグイス嬢が、「ありがとうございます、ありがとうございます」と返しつつ、車は去っていく。
彼はそれで充足感を得る。
身体が不自由なため、彼は人に「ありがとう」と何度もいう機会こそなんどもあったものの、自分の半生を振り返ってみたとき、「ありがとう」と言われることは皆無だったのである。
自分が発する「ありがとう」と感情の違いに気付きはしているが、彼にとっては「ありがとうございます」と言われるそれ自体が嬉しいのだ。
投票日以降は静まる「ありがとう」
彼には名残惜しい。
何か、御礼を他で聞ける他人への手助けはできないか、散々考えたが、自分の身体ではそれはなさそうだ。
自分が「ありがとう」と言われる機会は、やはり選挙カーに手を振る時だけなのだ。
しかし、彼は忘れているのである。
いや、忘れているという言い回しは適切でないのかもしれない。
彼が産声をあげたその時、彼の母親は確かに、「生まれてきてくれて、ありがとう。」 そう、言っていたのである。