HAPPY! I SCREAM

妄想雑記

空を仰いで滲む星を見つけたら明日を思う。前だけを見る、ただそれだけのことができればいい

何がどのくらい好きか、何をどのくらい好きか、を張り合うのはとても難しい。
事例?:とある音楽について
「わたしは毎日聞いてます」
「僕はこの歌詞に何度か救われた事があります」
「コンサートには毎回行ってます」

事例?:ラーメンについて
「わたし、毎食ラーメンでも構わない」
「昨日もラーメン、明日は休みだから隣県のラーメンに挑戦だ」
サッポロ一番で作る自流を極めたい」

事例?、?ともに、度合いを計る基準が全く持って曖昧。そしてきっと好きである対象に彼等彼女等の好きな思いは届かない。
届いていない感情なんて、どのように比べればいいんだろうか。

その点、次に挙げる事例はとても馬鹿馬鹿しいが、相手に好きな感情が伝わっているという理由で?と?よりは優れている。
事例?:とあるカップルの会話
「(両手を一杯に伸ばし)わたし、この手からこっちの手までくらいあなたが好きよ」
「(部屋の隅まで走り、壁にタッチをして対角線の隅まで行き)オレなんて、こっちからこっちくらいまでだもんね!」
「〜〜〜〜(割愛)」
「〜〜〜〜(割愛)」
「私の気持ちは海くらい」
「オレの気持ちは空くらい」







何をどれくらい好きかなんて、元々張り合うような事ではないのだけれど、ごく稀にそのような事由が発生するのも否めない。




『愛してるって言ってくれないとわかんない』という発言はそもそも、相手に感情が届いていなかったというコチラ側の失態から派生している。「めんどくせぇ」なんて思ってはいけない。
想いは想っているだけでは伝わらない。相手はテレパシー能力なんて持っていないのだから。
感情のアウトプット、相手の脳内メモリーへのインプット。






手探りでパラシュートを開くタイミングを探していたら、着地点のわからない文章になってしまった。が、画面上に打ち込んだだけでは消えてしまうので、サーバーに載せてアウトプットしてみる。
それが誰にもインプットされなくてもいい。