HAPPY! I SCREAM

妄想雑記

戴きます、御馳走様

昼飯を、食い過ぎた。
というより、前はペロッと食べられていた量がツラくなっている。胃が小さくなっているのか。「若いのに小食だな」とチラリ言われた事があるが、それはその席の上で一番若かった自分は気を遣っていたんだと思う。もしくは、自分の腹が減っていない時間に食事だったとか。

1日3食、1年365日、人生を例えば70年として、人生の中で食事は76,650回。そのうちで自分が食べたい物を好きなだけ食えるチャンスは何回あるんだろう。
なんて考えてみる。

「同じ釜の飯を食う」という諺がある。生まれ育った家庭なんかでは当たり前に感じるが、自分以外の誰かと食事をする、っていうのは大事なことだと思う。よく、「誰々とメシ食いに行った」とか、「誰々と飲んだ」、とか言うとその相手の人と随分と親密なイメージが出来上がる。「食事」というより、「捕食」だと考えると、自分以外の植物なり動物なりの生命を終わらせて自分の糧というかエネルギーとするために行う本能行動、美味しんぼで読んだところでは"原罪"だったかと思うが、そんな言わば「罪」的な行動を他人の前で行いあっているんだとすれば相手と親密になるのも分かる気がする。お互いが生まれつき持っている"原罪"を隠さずに行動で表しあうことによって、共犯みたいな連帯感が心の奥底で生まれているのかもしれない。
とすれば、恋人との初デートはやはり食事からか。
仕事の時間の違いで一緒にテーブルを囲む事の無い同棲しているカップルより、毎日のようにメシと飲みに付き合わされている上司と部下の関係の方が親密なのだろうか。ま、お互いの気持ち次第でもあるか。