記憶が正しければ
何十年間かの統計を取って、晴れる確率が高い秋のとある一日を選び、東京オリンピックはその日に開催された。
その後10月10日はそれを記念して「体育の日」と祝日に制定。
しかし、今や3連休を取りたいがために「体育の日」は10月10日ではなくなってしまった。
見えないからこそもどかしい。
全てを見て知るというのは永遠に叶わないのかもしれない。
「見て知って良かったもの」
はあるが、
「見なければよかったもの」
や
「知らずにいれば済んだ事」
の方が断然多い。
でも、やっぱり全てを理解したいと思ってしまうのは
単なるワガママではなく、
執着心でもなく、
独占欲でもなく、
純粋と呼ぶにはおこがましく、
分からなくて悶々としている。
「意志が弱い」と「意志が強い」は同義だ。
「嫌いになれない」と「好きで居続ける」が分かりやすい。
時間がもっと欲しい。
銃の引き金をひけば簡単に人を殺せてしまうのと同じくらい、
平等ではあるが簡単に過ぎて行ってしまう時間が怖い。
一生の鼓動の回数は決まっていて、
こうして心臓が脈打つたび、少しずつ終わりが近づいていると思うと。