HAPPY! I SCREAM

妄想雑記

幸福論・2続編

というわけで、昔書いたような記憶もあるが、「1」があれば「−1」もあり、それすら知らなければ「ゼロ」はゼロのままなのである。感情の線が引いてあって、何も起こらないし、何も知らなければそれはそのまま。「1」という幸せを感じ、感情に起伏ができる。それと同時に、ゼロの線に戻るには、「−1」を体感しなければいけないのである。さらに、そのさらに下までも。こうして、感情の振れ幅は少しずつ大きくなり、ちょっとやそっとの事では動じなくなってしまう。
そう考えると、ゼロはゼロのままで幸せだったのかもしれない。
だけど、感情の起伏が大きくなってしまった今、小数点以下のような幸せでも、見逃さずに「幸せなんだ」と受け取るようにしたい。



昼間、梅雨の合い間にふと晴れた陽射し。暑がらず、エアコンを止めて窓を開ける。生ぬるい風が車の中を吹き抜けて、ラジオからは新作のダンスチューンが流れてきた。道はいつの間にか知らない道へ。そんなゆっくりとした時間の流れにも幸せを感じた。